自分はどうすればいいか分からない。
何をしたらいいか分からない。
何を着たらいいのか。
何を買えばいいのか。
どこに行けば‥‥
誰に聞けば‥‥
自分の「したい」から始まらない
他人軸の生活と消費活動。
本当の自分とフィットしなくて、
すっきりしない感
何とも言えない重さ
古い鎧のように思えてならない。
何をやっても解決にならない
何をやっても幸せを感じられない
何を買っても心の底から喜びを感じられない
自分の心が満たされない
終わりのない蟻地獄のよう。
フィット感という鍵
自分が今見えているものは
自分に本当にフィットしているか
フィット感が自分の中にあるか
好きなことが分からない
好きなものが分からない
心の端っこの方で
「本当は好きなもの」
をうすうす勘づいているがなぜか避けている。
そんなことできる訳ないと思っている。
そんな人もいるかもしれない。
変だと思われないように
無難なものを選ぶ
波風立てないように
無難な意見を言う
敵意を持たれないように
意見を合わしておく
私は一体誰に気に入られたかったのか。
そのために自分の好きなことさえ
心から消してしまい、
行きたいところも
分からなくしてしまい、
違和感の中にいることを
常としてしまった。
しんどいのが普通になってしまった。
心は揺らぐ
自分が今まで正しいと思っていたものも
そうでない可能性が大いにある。
だから正しいと言われて突きつけられてきたことも
自分が違うと思ったらやっぱり違う。
違うんでは?と言ってみてもいいんじゃないだろうか。
心を塞ぐ生活を続けるというのは
もうしなくていいんじゃないだろうか。
もうみんなに合わせなくてもいいんじゃないだろうか。
「みんな」って誰?
人に合わせるのが好き、という人はもちろんそうすればいいと思う。
それが自分の望みとフィットしているのだから。
今の生活に行き詰まりや
違和感を感じているなら
自分の好きを
自分のやりたいを
自分の行きたいを
採用してもいいんじゃないだろうか。
それがこの先に揺らいだって良いのだから。
それすら決めるのは自分なのだから。
心は感情。
心は揺らぐ。
それが人間の生というものだろう。
そんな人間らしい自分を
許してもいいんじゃないだろうか。