自分に正直に生きるとはタフな行為だ

自分らしく生きることを進めていくと

今までの自分の環境に違和感を感じるようになる。

それまではきっと

みんなそうしてるから

それが社会通念上ベターな選択だから。

腹から納得していなくても仕方なかったんだと思う。

人生そんなもんだよね〜、って感じでした。

自分らしく生きたいと思えば思うほど

住んでる家

付き合う人

仕事や職場環境

担う役割

着ている服

髪型やメイク

食べるもの

自分を取り巻く一つ一つに、違和感を感じ始めるものなんだろう。

自分らしく生き始めると輝き出すというのも、この内面の変化から行動が変わり、表層に現れ出るものだと思う。

すぐに始められるものからエイヤーなものまで

人によって差はあると思うが、私は髪型や服装、住む家から変えていった。

自分がどんどん旧自分から抜けて、新しい未来を生きる自分になっているようでうれしかった。

手放すものは手放し、そこには新しい風が吹いてくれた。


ただ私にとって人間関係を整理するというのはすごくエネルギーを使う。

好きな人に会いにいくのはいいが、会いたくない人には極力接触を避けたり関係を終わらせる必要が出てくる。

せっかく出会ったのに、、という思いもあるが「どうも違う」と思ったら仕方がない。

行動に出るしかない。

自分に正直に生きるとはとてもタフだなあと感じる瞬間である。

補足

これは何も相手に直接喧嘩売ったり、宣戦布告をするという訳ではなく、

自分の中で決めるということ、

自分の気持ちを認める、

それを受け入れて次の行動に移すということ。


「この人といると嫌な感じになるなあ」

という自分の気持ちを私は自分自身で認めてなくて

「どうしよう、どうしよう」

と悶々とする時間が長かったように思う。

だから文句や愚痴ばっかり言ってた汗。


それって自分の気持ちを認めてなかった。

あることに気づいてそこで止まってた。


あることに気づいて、認めて、信じて、次の行動に移していきたい。

そうすると宣戦布告とか絶交とか別にしなくても自分の中でしっかり線引きして割り切っていけそう。

とにかく自分の中を整理すること。(と自分に言っております)

そんなことしなくてもよかったレールの上の人生

私の数年前までの人生はとても普通だった。

一般的な家庭に育ち、食べるにも何不自由なく暮らさせてもらった。

大学に行き、安定した会社に就職することもできた。

独身だったが、そのまま定年まで働いたら老後も不自由なく暮らせただろう。

同期と同じように昇進もした。

特に嫌いな人もいないし、会社の人は会社だけの付き合い。

特に嫌なことがない、はず、、なんですが。

何も嬉しいことが起こらない日々でした。

時々海外旅行に行き、ジムに行って、習い事して、彼氏は一応いて、

なのに心の奥底は渇望でしかなかった気がする。

後に体調悪化に伴い人生の大改革が起こっていく訳です。


そうならないのも幸せだと思う。

変化しない毎日が安心で幸せという人もいる。

けれどそうなってしまったからには、

というところで自分の選択が迫られますね。

本当に困る。

自分で決めるというのは失敗も自分の責任になるから。



今までは自分で決めてるようで、実は自分の本当の気持ちは後回しで周りに迷惑かけないように選択してきた道だから。

それが正しいと思っていたから仕方がない。


今度は違う。

他人にどう思われようが、自分の「やりたい」「こうしたい」を行動に移す必要がある。

具体的には相手に伝えるとか。交渉をするとか。

かなりのエネルギーを消耗するものだけど、その先には自分の望んだ世界が待っていると思うと

頑張って進もうと思う。

できれば広い視野で楽しみながら。

エビのスープ
ロイホのスープめっちゃ美味しかったです。

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