こんにちわ。あやみんです。
暑くなって毎日が大変ですが、うちの庭はまだ蝉が鳴いていません。
羽化しているのは数匹見たのですが、どこ行ったのでしょう・・・。
蝉が鳴いて晴れが続くと
梅干しを干す時期なので毎日天気予報をチェックしています〜。
梅仕事は大変な面もありますが季節と共に生きてる感じがして好きです。
もう頑張りたくない、しんどい。
会社や仕事のあれやこれや家のこと。
自分のことは後回し。
色々頑張ってきたけど、もう限界。
もう頑張れない。
もういい歳なのに一体いつまで頑張り続けるんだろう。
いつまで自分のことは後回しなんだろう。
趣味をやってみても、旅行に行ってみても
日常に戻ればまた同じ。
苦しみやしんどさが待っている。
しんどすぎてもう無理。
身体が動かない。
そんな兆候が今まであったけど
ごまかしが効かなくなってきた。
もういよいよ本気で動けなくなってきた。
そんなエネルギー切れが自分という中で起こっているのかもしれない。
他の人も頑張ってるから
みんな同じ年代の人はそうだから
親も通ってきた道だから
私だけができないなんて言えない。
そんな風に他の人に視点を当てて
自分から目線を遠ざけてもきた。
でももう踏ん張れない。
もうそれは
「自分」というものに
向き合うサインなのかもしれません。

一旦立ち止まり、休む
どうしてだろう、いつからだろうか
しんどくても会社に行くようになったのは・・。
しんどかったら、まずは休んだほうがいい。
横になって十分に身体も心も頭も休めること。
会社に行った方が気が紛れるなら
業務を減らしてもらうのもありだと思う。
とにかく自分に余裕がないのなら
余裕を作れるよう休むことが大事。

休むことは恥ではない
休まずに働くことが良いことだったり、
常にしゃかりき働くことが良しとされる不思議。
できるだけ多く行動するために1分1秒を削り出す。
タスク、時短、コスパ。
それが好きな人はバリバリやればいい。
その方の幸せなのだから。
私はそういうことにホトホト疲れてしまいました。
時短やコスパに自分らしさを感じられなかった。
人員が少ないのにやることが右肩上がりに増えていく。
何でこれやってるんだろう・・
って仕事をしながら涙が止まらなくなってしまいました。
私の場合は仕事を辞めることにしましたが、
その手前でもっと上手に休むことや離れることを使えていれば
いずれ辞めることになったとしても
在職中はもっと楽しく働けたのかなあって思ったりします。
休むことは悪じゃない、恥じゃない、
休むこと、立ち止まることは大事なことだと思います。
その感覚は自分にしか分からないのだから。
また職場で誰かに「もう帰ったほうがいいよ」
と言われるまで頑張ってた時もありました。
自分で判断することも放棄してしまっていました。
休むことはダメ、って思ってたんだと思います。
本当に自分のことを外に委ねてしまっていた依存状態でした。
本当は頑張りたい
休んで何もしないでいること。
そんな空白の時間も人にとっては大事。
身体も心も頭も十分に休めた時に
自分の中で
本当は頑張りたい
生き生きとして活動したい
やりがいを持って生きたい
何かに熱意を持って頑張って生きることを望んでる。
そんな風に思ったのなら
自分について見つめ直す「転機」なのかもしれません。

変化と探求
転機が訪れたということは
今までとは変わるということな訳で。
「変化のない安全」の中から出ることになる。
どうしても不安になる。
なので現状維持で安全の中にいるのも一つの手。
安全の中で工夫をしながら生きていくのもあり。
今までとは違う方に進んでみたい。
過去の延長線上の未来はもういい。
今までと違う考え方、観念、想像力を持って
自分というものを創造していく。
自分の未来を諦めたくない。
心地よく胸張って生きていきたい。
自分らしい豊かさを手に入れたい。
自分らしく生きたい。
本当の自分を生きてみたい。
それが自己探求の始まりなんじゃないだろうか。
自分を見つめられる場に
転機に向き合い自己探求してきた私がやれることは、
ボディーワークや対話をすること。
身体をほぐしてリラックスをもたらすこと。
マインドフルネスな時間を共有し心身の余白を作ること。
自分というものを俯瞰して考えたり感じることで
行き詰まった自分に余白を作る。
新たなエネルギーが湧く心のスペースを作る。
その先の望む未来像は
疲弊して生きる人生から
創造して生きる人生に。
頑張れない限界点で苦しむ人生から
自分で決めて納得して生き生き頑張る人生に。
そんなビジョンを見据えながら
私が提供できるサロンメニューを考えています。
