こんにちわ。あやみんです。
少し前に親のことをブログに書いて、
自分の心の中を整理できたような感覚です。
→「愛されなかったということに向き合う」
自分の体験について
自分で語ってみる(聞いてもらう、書いてみる)
理解する、腑に落ちる
というのは大事なことだと改めて思いました。
足元に絡まっていた何かが解消して歩き出せるといった感覚です。
またはモヤが晴れて見通しがききやすくなった感覚。

加藤諦三さんの本(「大人になりきれない人」の心理)を読んで、
私も大いに5歳児の大人であると思ったし、
「改善したい」と自分で思えるようになりました。
子供の頃のようなワクワクした心も忘れずに
自分で調整(コントロール)できたら素晴らしいですね。
「自分は正しい、相手が間違っている」
「相手が悪い、私は被害者だ」
そういう思いが強くていつまでも引きずってる自分がいました。
もちろん傷ついた心を十分に癒すことが先決です。
婚約破棄の当時は実家や兄弟、友人、当時の職場仲間に支えてもらいました。
苦しみ(絶望)のターンも、癒しのターンも終わった。
何年も経って、仕事も変わり、生活も変わった。
しかしながら、心や考え方のクセがまだ根付いているんですよね。
自分の中の「旧式」というか古巣からまだ出られない。
何かと周りのせいや過去のせいにしている・・・。
カウンセリングに通うのもいい。そうして自らが、
「もうこの世界観から抜ける、抜けたい」
と思う意志の力も必要だと思います。
今、目の前の事実を自分で捉えて
自分で考えて決める。
自分で変化や兆しを感じて
自分で舵を操作する。
自営すると決めたのでそういうことも
必要不可欠になりました。
SNSやネットの無責任な言葉に心奪われず
誰に相談するのか
どんなやり方を参考にするのか
どう進めるのか
どこにコストをかけるのか
どうやって疲れを取るのか
モチベーションを保つのか
オンもオフも自己責任。
というと大袈裟で力入ってしまいますね(^_^;)
力入れ過ぎず、抜きすぎず
やっぱり「自然体」でやれることがいい。
そういう方向を見つけていきたい。
自然体って、力抜きすぎていない。
静かであっても沈黙でない。
力みがない、
緩みすぎない。
静かに満ちている状態。
私の仕事はリラクゼーション。
身体がほぐれて、
心も緩んだその先には、
その方のエネルギーが静かに満ちて
自然体で在る状態になることが
理想だなあって思いました。
