昨日は久しぶりに夕立が降りました。
バチャバチャバチャバチャーー!!
と大きな音を立てて激しい雨が降りました。
私は40年くらい前の小学生の頃にタイムスリップしました。
母は私が高学年になったら働きに出始めた。
私には二つ下の妹と、六つ下の弟。
夏休みは兄弟3人。
隣に祖父母が住んでいたので安心だったけど、小さいながらにあの家で私は母が帰ってくるまで弟と妹を守らなければと思っていた。
そんな正義感で身体はリラックスせず、訳もわからない緊張でこわばっていたと思う。
不安だったんだろうと思う。
台風の日、暴風がふいて窓が押されて怖かった。
妹と一緒に必死で雨戸を閉めた。
そして停電した。
母の職場の電話番号は知っていたけど、停電なのか電話が繋がらなかった。
しばらくして母から電話がかかってきて「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫」と答えた。
その日は早く帰ってきてくれるかなと思ったらそんなこともなかった。
帰ってきても淡々と食事を作っていつもの通り。
雨戸を閉めた話もしたけど、「ふうん」くらいだったと思う。
こちらに顔を向けることはない。
褒めてはもらったかも知れないけど、不安な心に対しては特に何もなかった。
不安が解消されないまんま大人になったんだと思う。
誰にも打ち明けられなかった不安。
誰にも分かってもらえなかった不安。
そんなのの集積であの家で暮らした。
楽しいことはあったけど、心の安堵は少なかった。
だからと言って両親に今更どうこうもないし、育ててくれたことに感謝している。
いい歳になってから、重くのしかかる不安が顕在化してたので、なんとかしたいと色々やってみた。
いろんな心理ワークに取り組み、カウンセリングにも通った。
自己啓発セミナーに行った。
アートセラピーにも通った。
癒された、と感じた。
俯瞰して自分という人生を見つめて、前に進むことができた。
しかし私の中にはイメージとしてあの頃の私の表情が残っている。
その表情は不安のまんま。
不安で寂しい、けど妹と弟がいるから小さな子みたいに振る舞えない。
大丈夫でいないといけない。自分で。
カウンセリングや勉強で私の内に残るイメージをなんとかポジティブに変換しようとしてきた。
それが心の癒やしだと思っていた。
けど今は風向きが変わってきた。
その寂しさが私を作った「生の真実」であることには間違いがない。
もう変わらない記憶を変えようとすることに時間とお金を費やすことに無意味さを感じた。
それよりも今の暮らしを見つめてリラックスして楽しんで生きよう。
もしかしてブログを書くことが往々に私の心の癒やしを助けてくれたのかも知れない。
大きく捉えると「癒やし」がすすんだと言えるかもしれない。
進むか停滞かそれに優劣をつけることすらも今は無意味に思える。
進むも停滞も全てが変化であり、生きているということだから。

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