「遊びが足りない!」
これは、私の甥っ子が言った言葉です。
確か4歳くらいの頃。
その日は雨が降りそうなお天気で外遊びが少なかった。
夕食前でまったり(無為に)テレビを見てました。
今日はこんな感じで終わりかなあ‥。
子供達は少々つまんなかったかもしれないけど、大人はちょっと楽できたw。
そろそろ晩御飯作るかあ、思っていました。
私の思惑を感じとったのかは分かりませんが、
このままじゃ終われないと思ったのでしょう。
はっきり言葉にしてくれました、
「遊びが足りない!」
衝撃だったけど、ストレートでみんなで大笑い。
心が満たされていないのか?
身体(運動)が満たされていないのか?
考えてみましたが、両方なのだとすぐに気づきました。
心身一如。
心と身体は一つ。
分けることはできないもの。
だから心で起こっている事は
身体でも起こっている。
甥と姪は、その後15分くらい私と弟(子供の父)と
室内でワイワイとボール遊びをして満足したようでした。
たったそれだけで?と思うのですが、
スッキリしてご機嫌さんでした。
スッキリというのがポイントで、
フラストレーションが取れたような表情を私は甥から感じました。
遊びって子供にとって本当に大事。
テレビゲームでもない、ただ運動量を課すだけじゃない、
遊びって人間的な活動なのだと思います。
もちろん集団遊びも少人数も、1:1も1人遊びも。
その子にとって必要な配分はそれぞれあるのだと思います。
大人も遊ぼう。遊びの意味と感覚。
私も中年真っ盛りの一応「大人」です。
たまに甥っこの言葉を思い出します。
普段の遊びは夫とショッピングモールへ出かけたり、レジャーが多め。
ストレスを消しに行くような遊びが多くなっていました。
もちろんそれも大事。
でも実は勤務サロンでの雑談や
お向かいの奥さんとの井戸端会議もリフレッシュできる。
1人で身体を動かしたり、庭仕事で汗をかくのも私にはスッキリ感がある。
遊びは身近にもある。
遊びには創造性が含まれる。
知らず知らずのうちに常識というレールの上で人生を進めてきた私。
レールから外れて自由になったのに、遊び方を忘れてる感があります。
力を抜いて純粋に遊んでみることが必要だと思います。
ポイントは「脱力」。
意識的な脱力ではなく、
普通が脱力できているかということ。
最近わかってきたんですが、不安ベースだと力が入る。
力むというより、硬直しています。
本来の力が出せないように、圧力がかかっているような状態。
それに疲れると(無理があるから疲れる)全く力の入らない状態になる。
何かに操られているかのように自分がないまま人生の時は無情にも進んでいく。
その力みと疲れに気付いたとき、停止がやってきた時にはまずは休むこと。
十分、十二分に休むこと。
疲れていることを
無理してきたことを
認めてあげて
許してあげる
そんな大事な期間だと思います。
起き上がれるようになったら、
立てるようになったら、
歩けるようになったら、
脱力して自分の身体感覚や心の感性を取り戻す。
それをスタンダードにする。
今の時代に必要なんじゃないかなと思います。
本当は仕事が遊びのように熱中できるものだといいなあと思います。
(新たに)好きなことを仕事にする。
(今の)仕事を好きになる。
どちらも可能だと思いますが、
何らかの方法でそういう労働ができたら幸せだと思います。
仕事(会社)では疲れるのを防止するために心を閉ざし、
家に帰って酒を煽って眠り、
憂さ晴らしに買い物でお金を浪費する。
10年前はこんな感じでしたがw
これからは自分の身体感覚と心の感性で進んでいきたいと思います。
